働くことの意味 - 喜働化を目指して

(2)喜働化を目指して

 

 人間の労働は、自己の心身の働きを媒介として、外的自然や環境に変容を加える合目的的行為である。その特徴は、

 ①全人間的活動である。全人格の投影である。いかなる場合も人格と労働能力とは分離できない。五体は一身で、これによって文化と自覚の世界を作り出す創造的活動である。

 ②根源的な生命より発する基本的欲求である。条件次第で苦痛にも喜びにもなる。

 ③人間の能力は、機械と異なり無限の発展性をもつ。

 ④人間の意欲を支配し得るものは、結局本人だけである。

ということになる。


 条件次第で苦痛にも喜びにもなるということであれば、当然、喜びになるようにすることが大切である。それにはまず、どのような仕事もしくは労働が苦痛な労働になるのか考えることにする。苦痛に満ちた労働とは、

 ①お金のため、生活のために仕方なく働く

  今日の日本社会においては、かつての貧しい時代のような、お金のため、生活のためだけに働くということは少なくなっているが、2009年のリーマンショックにような世界同時不況による、人員削減、特に非正規社員に対する派遣切り、雇い止めといったことによって職を失った人達にとっては、当面はお金のため、生活のために働くということになる。その場合は、仕事、職業を選ぶということができず、働く場、仕事があればいいという状況で、目の前の生活、将来の生活への不安からは逃れ得ず、到底喜んで働いているとは言えない。

 ②仕事の単調さ、無意味さ

  かつてのベルトコンベアーシステムによる生産方式ように、合理化を追求するあまり、仕事を細分化、単純化し、単純な仕事を繰り返すだけの職務であったり、言われたことを言われるままにやっている仕事では、仕事に意味が見出せず、働くことが苦痛になる。

③官僚的トップ・ダウン管理

 官僚的なトップダウン管理の下では、官僚性集団の特徴である、集団執務体制による個人責任の

希薄、集団優位の意識や専門的部門主義によるセクショナリズム、浅く狭い能力の発揮、単調感、

マンネリズムや命令の単一性による上意下達の指示体系、依存受け身体制といったことが起こり、

いわゆる三無主義がはびこり、仕事は見せかけとなって、仕事に生きがいが見出せず、仕事が苦痛

となる。

 ④暗い人間関係

  職場その他の組織には、生きた全人としての人間が、集まって働いている。仕事は生きた人間が

 行い、教育も生きた人間が行う。したがって生きた人間の関係が基礎的関係である。この基礎的関

 係である人間関係が、悪く、お互いがいがみ合ったり、憎みあったりしていると職場の雰囲気は悪 

 くなるし、職場が暗くなる。当然、仕事も面白くないし、苦痛となる。


等である。


 この苦痛に満ちた労働を回避するための、ポイントは、民主的管理秩序の確立である。

官僚的なトップダウンの管理方式から民主的管理方式へ転換することである。すなわち、統制、処罰の命令中心の管理から指導、教育中心の自主管理への転換である。そこでは当然働く人を単なる労働力とみるのではなく、自発的に働く意欲を持ち、責任感もある人とみる。すなわちプラン‐ドゥ‐シーへの参加と権限委譲である。参加とは、目標設定なり、実績評価なりに対し自由に発言することを認めることであり、権限委譲とは仕事上の意思決定権を渡すことである。これにより働く人は自己責任、自己統制、自己評価、自己啓発のもと、目標達成に努力することになり、受動的から能動的となり、仕事に対して責任と愛情と誇りをもつようになる。


 具体的には、職務拡大と職務充実である。

 専門化され単純化された仕事をある程度の大きさにまとめ仕事の範囲を拡大し、仕事に意味をもたせる職務拡大と、仕事に計画、実行、統制(目標管理)といった内容を加え、仕事そのものを質的に充実させる職務充実である。これによって、苦痛に満ちた労働は、喜働へと変わるのである。もちろんそうなるためには、上司、先輩による適切な仕事の与え方、任せ方、信頼を中心とした適切なリーダーシップと部下、後輩自身の自主性、積極性、完遂性、誠実性を中心としたワークマンシップが必要となることはいううまでもない。


 喜働(Arbeitsfreude)とは、

 ①仕事における自己実現

 ②働くこと自体の喜び

 ③仕事の完成と社会への貢献、自己成長

 ④仕事における人間協力と連帯感の確認

 ⑤職場におけるかけがいのない貴重な存在としての承認

 ⑥仕事の喜びによる余暇と家庭の楽しみ

を内容とする。


 この喜働という概念は、当然狭義の意味の自己実現ではなく広義の自己実現であることはいうまでもない。

 働くということは、文字通り、自分のためだけでなく、世のため人のために働く、すなわち、ハタをラクにすることであり、この両者が満足されることが生きがいとなるのである。