人生は役割の連続

 およそ世の中に存在するものはすべて役割(いのち、使命、ハタラキといってもいい)を持っている。しかもそれらは単独では存在せず、お互い助け合い、影響しあいながら生き、存在している。個々の人間はもちろん生きとし生けるもの、有情非情すべて役割を持ち、影響しあいながら存在している。


しかも、それぞれの置かれた立場や周囲に環境の変化に応じて、果たすべき役割も増えたり、変わったりする。たとえば、独身の男性が結婚することによって、それまでの親に対する子供の役割のほかに、妻に対する夫の役割が増え、子供ができれば子供の親としての役割が増え、求められる役割、ハタラキも変わってくる。また会社や職場で管理職になれば、上司に対する部下の役割のほかに、部下に対して上司の役割が増え、果たすべき役割も変わってくる。その変化に対して自らを、自らのハタラキを変えていかなければならない。なんとなれば、環境の変化、役割の変化に気づかず、それまでのやり方、生き方を変えられず、その対応の遅れ等から、絶滅してしまった生物や倒産に追い込まれた企業も多く、また周りからの信頼が得られず、人間関係が悪化し、ストレスから健康を害したり、社会的な問題を引き起こすということも多くみられるからである。

 

 このように与えられた役割や自ら獲得した役割は増えたり減ったりしながらその存在が続いていく。一人ひとりの、あるいは一つ一つの役割の連続が人生であり、それぞれの一生であるといえる。この世は役割の連続、役割のつながりということになる。国際基督教大学の石川光男教授は『命(いのち)はつながりである』とおっしゃっている。この世に存在するものはすべていのちを持っており、そのいのちはつながっているということである。いのちのハタラキが役割であり、その役割はつながっている。小は素粒子、細胞から、代は自然、宇宙に至るまで、それぞれが自らの役割を果たすことによって、秩序を維持しているのである。逆に言うと、それぞれが自分の役割鵜を果たすことによってのみ、秩序を維持することができるのである。